2016年05月25日

巣鴨の長生きを願う祭りに行ってきました。

みなさん、こんにちは。


先日、巣鴨の長生きを願う祭に行ってきました。


食後に新聞を何気なく見ていたら、
「明日こんな祭があるのか、もしかしたらいけるかも?」

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思い立ったら、吉日。

時間をみつけてすぐに行ってきました。



平日なのに、すごい人・・・
60歳以上の方々が波のように押し寄せてました。

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まず、駅のエスカレーターからして異世界。
ものすっごくゆっくりなんです。



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どうやら、巣鴨は塩大福を推しているようで、
何軒も軒を連ねて売っていました。


 

私も一つ買って、お寺のベンチで食べました。

 
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最近介護について改めて
勉強するべきことがあるなと思ったのは、数週間前です。

今は改めて福祉について考えたり、
介護施設に見学に行ったり、学んでいます。


するとどうでしょう、
こんな祭りを知ることができました。
ご縁ですね。


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まずは、お線香50円を買って・・・

自分の健康を願い・・・


 
これから出会うお年寄りに出会う私と、
介護スタッフと、介護をされる方々の健康をイメージして
深くお祈りしました。

 

実は福祉について改めて見直そうと行動すると、
土地の神様が援助してくれることに気が付きました。

感情的な願いではなく、
命をつなぐ健康の手助け願うと、
自然と支援したい何かのエネルギーは集まってきた気がします。

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とげぬき地蔵も並んで、
私と家族の健康共に洗ってきました。



改めて、土地を守るエネルギー体って
面白いなと感じています。


「私がこういうことをやりたいんだけど、
誰か手助けしてくれる人いますか?」

そう手を挙げると、
自然と全ての幸せの縁は繋がっていった気がします。


目的がはっきりしていれば、なおかつそれが
土地に生きる人々の幸せにつながることでしたら、
私たちはウィンウィンの幸せ関係になれますものね。


単に神頼みではなく、
こういった願い方は現実に
わりとすぐに還元されやすいかもしれません。


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土地に根付いて、
美味しいお店でおいしいどら焼きを提供するように。

健康を助けることもまた、同じ。

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何か行動しようとするからこそ、
エネルギー体はリアルに私たちを助けてくれる。

人間であれ、土地の守護者であれ、それは同じ。



実に楽しく有意義なお祭り散歩でした。



posted by さゆり at 19:12 | 日記

2016年05月16日

幸せになるチャンスはいつも降ってくる。

突然ですが、部屋をお掃除されてますか?


年初め、知人の家の冷蔵庫を整理してたら
一年前のブルーチーズになった、
ヨーグルトが出てきました。

春頃、知人のお部屋にお邪魔したら
トイレに雑貨や読み切れない本が
埃をかぶって積まれてました。


片付けようとすると、
いろんな人が隠していた心を
浮き出させますね。


わたしがヨーグルトを片付けていると…

よくやったと褒めてくれるひともいたし、
そこまでするの?と呆れるひともいたし、
汚した本人が「私を責めないで!」と怒られました。

冷蔵庫はあなたの物で溢れているから
いっぱいあるから片付けてね。

それが責められているよう思った様子。


わたしは正直に
「感謝されたいと思ってない、
謝れとも思わない。けれど、
お腹壊さなくてよかったくらい思ってほしい」

そう言ったら、罵声は穏やかになり
幾分か話を聞ける状態になりました。


落ち着いた精神のひとがこれを見たら、
さゆりさん怒らないの?て思うわけですが。

ゴミを溜め込む心理状態のひとは
大概気に入らないことがあると、
一方的に罵って相手の話を聞かず
縁を切ろうとするので。

その辺は予測つけてました(笑)


トイレが汚かったひとも同じです。

使わないのに、読まないのに、
古いものが散乱してました。

部屋に入った途端理解したのは、

「これはいかん。けれど、
こういう汚し方をする人は、
捨てた後ひどく後悔する癖がある人だ。
きっと後でひどいことを言われる可能性もあるが、
片付けないとやばい」

残念なことに予想通りとなり、
片付けているときは嬉しそうでしたが、
捨てた後「あんなやつのために捨てた!」
とわたしを罵りました。

わたしが性格がおかしいのと、
物を捨てることに承諾した自己責任は違うわけですか。

そういう精神になっているということです。


単にものが散らかっているとき。

仕事で忙しいひと、
物を片付けるのが不慣れなひと
精神が乱れているひとなど様々です。


けれど、
「ゴミ」(長い間見ても使ってもない物)を
溜め込むのは違います。



「こーんなにたくさんのパンの耳を
パン屋さんからもえるんです」

そう、わたしに話したひとがいたんですよ。

「それはお買い得ですねえ」
なんて話してたら。


家の冷凍庫にはまだ
1メートルくらいのパンの耳を
所持していました。

食べ終わる前にもらいに行くわけでもなく
新しいパンの耳と差し変えるわけでもなく、
単に食べきれない物を捨てないわけです。

じゃあパンの耳は
どうやって工夫して食べてるかというと、
かじりつくだけ。

睡眠薬や頭痛薬や
他にも精神薬なんか飲んでいたようで。

部屋のすべてのものに埃をかぶってました。


ひとを罵るなとは言わない、
薬に頼るなとも言わない。
無料で施しを受けるなとは言わない。

けれど、その前にゴミを捨てなよって
単純に思うわけです。

それだけで、わりと
健康的な生活が取り戻せますから。

あと行き過ぎた暴言も吐かないし、
執拗な怒りの執着も短期間で落ち着きます。


部屋がきたないにも二種類あり。

ゴミを溜め込んでいるか
物が散乱してるか。



これは感情も同じ。

過去の感情を整理しようとすると、
次の人生のステップへ上がる不安、
怒りを風化させたくないという想いから
一緒に片付けたひとに怒りをあてつけます。

こんなふうになったのは、あいつのせいだ…

こういう状態のひとは、
少しだけ覚悟してふれあいます。

そこからうまく変われるひともいれば、
変われないひともいます。

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珍しく甘いものがほしいなと思ったら、
施術したひとからすごく美味しいお土産にもらいました。


人生にはいろんなことがあります。
わたしも色々ありました。

けれど、幸せのチャンスは毎日巡ってきて
部屋の床にぽとっと落としていきます。

床に落ちた幸せのチャンスを
見落とさないようにするのが、
部屋を綺麗にすることなんですよ。


とりあえず、
なんか嫌だなって思ったことがあったら、 
掃除してみてください。

いいことありますよ。


posted by さゆり at 01:03 | 日記

2016年05月07日

スピリチュアルなお知らせは「うっかりな注意」か「切り替えポイント」か。


先日、久しぶりに
スピリチュアルなお知らせがありまして。

とある仕事の案件を考えいると
お菓子の紙箱で少し腕を切ってしまったんです。

なぜ紙箱なんかにと思ったとき
お知らせを受け取ったとき「緊張感」が
体を走りました。

つい、うっかりの切り傷では
こういうのないんですけどね。


それから、
同じ仕事のことを考えて。

対処するべきか放っておくか
決めかけていました。


すると、扉の挿した鍵を腕に引っ掛けて、
同じ腕に小さな切り傷を作りました。

その時も
また同じような緊張感が走りました。


すぐに事実を受け止めようと思い、
案件の対処の仲立ちをお願いする人を決めて、
メールの下書きを即書きました。


そのあとでしょうか。

午後には目の前でガラスが壮大に割れました。


よく通るところなのですが、
ガラスはむき出しになり、
とても危ない感じでした。

割れた時、
先ほどと、同じ緊張感が走りました。


「メールじゃだめた、電話しないと」

そう思って、すぐに帰りの道ながら
仲立ちの人に電話をかけて、
自分が思っていたよりも良心的に対応してくれました。

電話したのがベストタイミングで、
本当によかったです。

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コーヒーでも飲んで、情報を客観的に見てみる。


スピリチュアルのお知らせというと、
わたしの場合、基本夢を見ます。

でも、
体感型の知らせは
たまーにやってきますね。


シンクロニシティでは、
「数字が揃った!」とか、
「切り傷が続くのはなぜ?」や、
「同じような目つきの人ばかり会う」など。

全部が自分の不注意ではなく、
全部意味が深いシンクロニシティでもないのです。


その違いを体感すると、
対処しやすいと思います。

頭でわかろうとしないことです。

これはまごうことなき、
「虫の知らせ」だったと。

そういう体感から確信した過去と時折照らし合わせると、
いざって時に役立ちます。



シンクロニシティを気になされ方は、
たまーに比べたりして遊んでみてください。

シンクロニシティの意味を知ろうとするのは
まずは気楽にやってみましょう。


リラックスした状態での学びは、
ほんといざって時に役立つなと
改めて身に沁みました。


posted by さゆり at 12:45 | 日記