2016年06月15日

介護職が喜びを待つひとへなるように。

介護の現場にて。

現在、人手が足りないと言われている現場にて、
すこし介護のお手伝いをしています。


わたしがリラクゼーションの技術を向上させるために、
介護職についたのは六年近く前です。

勉強のためにいずれ辞めるけれど、
勤めてもいいかと職員に聞いて務めたことが、
懐かしいです。


初めての現場も、
それくらい人手が足らない現場でした。



そして、いま、少しだけ
お仕事のお手伝いに入っているわけですが、
さらに介護の現場の変化を感じています。


どのような変化を肌で感じているかというと・・・


ここはわたしの個人ブログなので
はっきりと言いますが。

「飼い殺し」が、ひどくなっていました。



医療制度、介護制度などの影響でしょうか。


薬は無料でどんどんでるけれど、
それ以上は有料です。

ご飯は毎食でるけれど特にフルーツもなく、
成人カロリーだけを気にした食事。



わたしはどんな薬を飲んでいるかを知るために
よく、目を見るのですが、
だいたいつよい薬を飲んだ人の黒目は
思いっきり小さいのです。

または、黒目が大きいけれど、
白目がどこか不思議なクリーム色だったりもします。


眼力ばかりが強くなり、
人の感情を見る能力ががくんと落ちます。


薬の犠牲者にしか見えませんでした。



現在の介護の実態はこうです。

薬に罪があるわけではなく、
直したあとの強い効果の薬のデトックスを考えず
たくさん飲むことは危険です。

強い眠剤、強い抗鬱剤、強い痛み止め・・・
あらゆるものが多量摂取です。


何をしゃべるにろれつが回らない、
周りがすべて敵に見える、
昨日の記憶が改ざんされて切り売りの自分になる。


お金があるないではなく、
「気持ちその日ぐらし」は非常に危険です。


医療、オムツや介護用品店、薬品会社や医療全体が。

そういう「とりあえず間に合わせておこう」という
制度や設備、道具や施設が大量に増えてきています。



あと、現場では外国人さんも増えましたね。

わたしは知らなかったのですが。

日本の大学を出たけれど、
就職できなかった中国人の学生さんが、
もう二年か三年福祉系の大学に入って、
介護職を目指しているのだとか。

これでようやく、
福祉系の大学の前を通るたびに
中国系の人が大勢いた理由がわかりました。



皆さんはどういう意味で
介護と受け入れるかわからないけど。


精神を病み薬を飲みすぎて、
何もできなくなってしまった人も、
介護施設にはけっこういます。

ですから、介護は決して
お年寄りを介抱するだけの現場ではありません。



頭がおかしいと罵ればそれまでなんだけど。

どうしてそうなったのか。


疑問をもち、見極めて、相手の生活を想像し、
社会で彼らがどんな風に見られているかを調べて
触れ合うことをしています。

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黙って死を待ち座っていることほど、
ひとは罪を感じることはないかもしれない。



べつにだれかのためじゃない。

自分が知りたいからそうしています。



片麻痺しているおじいさんが
精神薬の依存から会話ができない人を見てこう言いました。


「あいつのことを知っているだろう?あいつは頭がおかしいんだよ」


そう、頭がおかしいと言ってしまえばそれで終わりです。

それ以上の疑問はありません。



けれど、わたしのような人間は、
人間そのものに興味があります。

わたしは頭がおかしいと言われることに慣れています。
そう、たぶんわたしは頭がおかしいのかもしれません。

だから理解したくなるんです。
「わたしも頭がおかしいところがあるし、
共感できる何かを発見して、新しい視界がみつかるかもしれない」



わたしの言っていることは通じないかもしれません。
もしかしたら余計に傷つけるかもしれない。


けれど、どこかひとつでも通じ合えば、
私たちは分かり合え、生きる希望がわくこともある経験もしている。


わたしはバカバカしくいつもどこかで希望をもっています。


「飼い殺し施設」で働く
ただ死を待つひとを介抱するひとが介護士と呼ばれないように。

『生活感情回復施設』で働く
自分と誰かのために回復を介抱する人が介護士と呼ばれるように。

わたしはこころから願っています。


posted by さゆり at 21:31| 日記

2016年06月09日

6月のポエム

紫色の夕露が、花を滴り落ちる。



夏の朝顔のつぼみはまだ、閉じたままだけど。
夏前のアジサイの花は咲き誇る。

夏の朝顔は朝から昼に咲くけれど、
夏前のアジサイは雨が降っても止んでも咲き誇る。



大勢の人たちの目が開く時間に開く花は、
だれよりも注目を浴びるだろう。

大勢の人たちの目なんて気にせずに開く花は、
だれの目にも止まる花となるだろう。

限定で咲く花はそれは輝かしく光を浴びる。

路地裏のどこでも当たり前に咲く花が、
花が閉じる時間の心を満たす。



あなたはどちらにでもなれるし、
どちらにでも私たちは迎える能力がある。

たった今、どちらになりたいかだけを
心して選択をして生き続けるだけ。

なんとなくこちらではなく、
こうやって生きてみたいと
明確にイメージできたものから歩き出していく。



そうすれば、世界中の時間にすべての花が咲くだろう。

町の真ん中でも、路地裏でも。
日の昇る時間でも、星空の時間でも。

すべての心に花は咲くだろう。


posted by さゆり at 14:17| 日記

2016年06月05日

私の施術から、幸せのため息を目指して。

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アジサイが綺麗な季節ですね


この一週間くらい、
新しい技術を学ぶために、
先週から何日かスクールに通っていました。


その際に、海外の方に施術をしました。
日本にきて2ヶ月。

カタコトながら、
日本語をしゃべろうとする
頑張り屋さんでした。


リラクゼーションに興味があり、
なんと、50歳から勉強しているとのこと。


素直で誠実な人柄が印象的な方に
こんなことを言われました。

「アナタ、一番です、うまい。
なぜ、アナタうまい、練習する?」



思わず、まっすぐな言い方に
わたしは本音を言いました。


「もっとお金を欲しいのもあるけれど
つまんないじゃないですか。

それに、昔の技術もなぜか
新しいことを学ぶと上手くなる。
そういうことなんです。」



私の施術を受けた後、
何度もため息をつきながら…

「わたしはアナタみたいに、なりたいデス」
と親切に伝えられました。


私はというと、

「わたしみたいにならなくていい、
その感動を大切にして自由に上手くなってね」

と、こっそり心の中で思ってました。


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東京にはいろんな外国人がやってくる。



他にはこんなことも。


「ドコニそんな力、あるんですか?」

「私は小さいからなあ」

「チイサイ大きい関係ない。
体は見にくい美しいない。みんな美しい。
神様からもらった体はミンナ大事。
とても素晴らしいこと」



特別な神様を信仰している方でもなく
自分で考えた言葉でさらっと言われました。


他にもいろんな素晴らしい出会いが
先月から巻き起こっています。



出会いと別れの繰り返しの中で、
ぼろぼろと拾いきれないくらいの宝石が
道に散らばっていくようです。


こんな風に人を感動できるのだとしたら
施術はできる限り、
仕事で続けていたいなと思った出来事でした。



posted by さゆり at 13:42| 日記