2016年06月23日

スキンシップって偉大で練習が大切なんだなと思うとき。



馴れ馴れしく触りすぎると、
気持ち悪いと言われるし。

まして、全く手を差し伸べないと冷たいと言われたり。

人間というのは本当にわがままで甘えん坊だと思います。


特に男性が強い人はその節度があまり理解しておらず、
自分から触る時はどうやって触れたらいいかわからないし、
触れようとするとベタベタ触るなと怒られる。

そして、男性や女性に憎しみを強く抱いている人は、
誰が触っても嫌だ嫌だになります。



そうですね・・・これは経験論ですが。


適度なスキンシップに慣れてくると、
どこまでがセクハラで下心があるかとか、
どこまでが助けたいかとか。

触れられた瞬間に、
少しだけわかるようになってきます。



特に猫なんかはその説に置けます。

エネルギーの感受性はわりと、猫が敏感な方です。

女性的なエネルギーが男性にもあるわけですが、
そのエネルギーがにじみ出ていると、猫に好かれます。

また、男性性のエネルギーが強すぎると、
猫にあまり懐かれません。


子供も同じで、
性別がまだはっきりとしていな段階であったり、
性別が曖昧である状況の時は、
強すぎる感情主義の女性であったり、
強すぎる完璧主義の男性であったりすると、
子供はあまり近寄ってきません。




あと、これも経験論ですが。

この時代の大人は、大概年をとると、
子供返りをします。

介護の仕事をしているとそれを感じます。


性エネルギーがどちらかに行き過ぎると、
事故が介護における接触多発します。

面白いもので、子供やお年寄りに関わる時、
最も安全で成長のある良い仕事ができる人は
「子供らしい素直さがある完璧主義でない人」です。

一見すると子供っぽいのですが、
大きな目でとらえていくと、とても優秀です。

そういう人たちを現場で見てきました。



つまり、スキンシップで
コミュニケーションが安全に取れる人って、
大人になりながら
子供らしい素直さを持っている人が多かったのです。


・・・・難しいですか?(笑)

そうかもしれません。


でも、それが最も良い仕事ができることもありますから、
たまに子供らしい素直さをわたしは思い出すようにしています。

image.jpeg
遠く離れていたところに住んでても、
どこかで交差点を見つける。


そうそう。
スキンシップといえば・・・

介護の現場でちょこっと手伝っているわけですが、
いつもお風呂で介助のペアを組む人が外国人の方なんです。

普通に話せるけど、たまに漢字が読めなかったり、
細かい表現ができなかったり。

なかなか面白い。

ある程度、もう少しだけ
お互いを知り会えたら、もっと良い仕事ができると思いました。

そして、事故が減るとも直感で感じました。



お互いを礼節持って知り合うために、何をしたのか。

仕事の確認の話をしながら、肩もみしました。



介護の方「ウワア!すごい!ワオ!」

わたし「強さはどうですか?」

介護の方「すごい!アナタ、力強い!」

わたし「力は入れてないですけどね。」

介護の方「すごい!何これ!わあ!」




それから、お互いを気をつけながら、
話せるように少しだけなりました。


施術歴10年、話し下手だったわたしが
誰かとイメージを共有して仲良くなりたくてしてきたこと。

それはスキンシップという名の施術練習であり、
言葉という名の執筆活動でした。


積み重ねた経験が体に根付いて、
人の感動と喜びにつなげることを
肌で感じることができるんだなと、
改めて感じました。




posted by さゆり at 17:58| 日記

2016年06月15日

介護職が喜びを待つひとへなるように。

介護の現場にて。

現在、人手が足りないと言われている現場にて、
すこし介護のお手伝いをしています。


わたしがリラクゼーションの技術を向上させるために、
介護職についたのは六年近く前です。

勉強のためにいずれ辞めるけれど、
勤めてもいいかと職員に聞いて務めたことが、
懐かしいです。


初めての現場も、
それくらい人手が足らない現場でした。



そして、いま、少しだけ
お仕事のお手伝いに入っているわけですが、
さらに介護の現場の変化を感じています。


どのような変化を肌で感じているかというと・・・


ここはわたしの個人ブログなので
はっきりと言いますが。

「飼い殺し」が、ひどくなっていました。



医療制度、介護制度などの影響でしょうか。


薬は無料でどんどんでるけれど、
それ以上は有料です。

ご飯は毎食でるけれど特にフルーツもなく、
成人カロリーだけを気にした食事。



わたしはどんな薬を飲んでいるかを知るために
よく、目を見るのですが、
だいたいつよい薬を飲んだ人の黒目は
思いっきり小さいのです。

または、黒目が大きいけれど、
白目がどこか不思議なクリーム色だったりもします。


眼力ばかりが強くなり、
人の感情を見る能力ががくんと落ちます。


薬の犠牲者にしか見えませんでした。



現在の介護の実態はこうです。

薬に罪があるわけではなく、
直したあとの強い効果の薬のデトックスを考えず
たくさん飲むことは危険です。

強い眠剤、強い抗鬱剤、強い痛み止め・・・
あらゆるものが多量摂取です。


何をしゃべるにろれつが回らない、
周りがすべて敵に見える、
昨日の記憶が改ざんされて切り売りの自分になる。


お金があるないではなく、
「気持ちその日ぐらし」は非常に危険です。


医療、オムツや介護用品店、薬品会社や医療全体が。

そういう「とりあえず間に合わせておこう」という
制度や設備、道具や施設が大量に増えてきています。



あと、現場では外国人さんも増えましたね。

わたしは知らなかったのですが。

日本の大学を出たけれど、
就職できなかった中国人の学生さんが、
もう二年か三年福祉系の大学に入って、
介護職を目指しているのだとか。

これでようやく、
福祉系の大学の前を通るたびに
中国系の人が大勢いた理由がわかりました。



皆さんはどういう意味で
介護と受け入れるかわからないけど。


精神を病み薬を飲みすぎて、
何もできなくなってしまった人も、
介護施設にはけっこういます。

ですから、介護は決して
お年寄りを介抱するだけの現場ではありません。



頭がおかしいと罵ればそれまでなんだけど。

どうしてそうなったのか。


疑問をもち、見極めて、相手の生活を想像し、
社会で彼らがどんな風に見られているかを調べて
触れ合うことをしています。

image.jpeg
黙って死を待ち座っていることほど、
ひとは罪を感じることはないかもしれない。



べつにだれかのためじゃない。

自分が知りたいからそうしています。



片麻痺しているおじいさんが
精神薬の依存から会話ができない人を見てこう言いました。


「あいつのことを知っているだろう?あいつは頭がおかしいんだよ」


そう、頭がおかしいと言ってしまえばそれで終わりです。

それ以上の疑問はありません。



けれど、わたしのような人間は、
人間そのものに興味があります。

わたしは頭がおかしいと言われることに慣れています。
そう、たぶんわたしは頭がおかしいのかもしれません。

だから理解したくなるんです。
「わたしも頭がおかしいところがあるし、
共感できる何かを発見して、新しい視界がみつかるかもしれない」



わたしの言っていることは通じないかもしれません。
もしかしたら余計に傷つけるかもしれない。


けれど、どこかひとつでも通じ合えば、
私たちは分かり合え、生きる希望がわくこともある経験もしている。


わたしはバカバカしくいつもどこかで希望をもっています。


「飼い殺し施設」で働く
ただ死を待つひとを介抱するひとが介護士と呼ばれないように。

『生活感情回復施設』で働く
自分と誰かのために回復を介抱する人が介護士と呼ばれるように。

わたしはこころから願っています。


posted by さゆり at 21:31| 日記

2016年06月09日

6月のポエム

紫色の夕露が、花を滴り落ちる。



夏の朝顔のつぼみはまだ、閉じたままだけど。
夏前のアジサイの花は咲き誇る。

夏の朝顔は朝から昼に咲くけれど、
夏前のアジサイは雨が降っても止んでも咲き誇る。



大勢の人たちの目が開く時間に開く花は、
だれよりも注目を浴びるだろう。

大勢の人たちの目なんて気にせずに開く花は、
だれの目にも止まる花となるだろう。

限定で咲く花はそれは輝かしく光を浴びる。

路地裏のどこでも当たり前に咲く花が、
花が閉じる時間の心を満たす。



あなたはどちらにでもなれるし、
どちらにでも私たちは迎える能力がある。

たった今、どちらになりたいかだけを
心して選択をして生き続けるだけ。

なんとなくこちらではなく、
こうやって生きてみたいと
明確にイメージできたものから歩き出していく。



そうすれば、世界中の時間にすべての花が咲くだろう。

町の真ん中でも、路地裏でも。
日の昇る時間でも、星空の時間でも。

すべての心に花は咲くだろう。


posted by さゆり at 14:17| 日記